「行」と「運」

ギリシア・ローマ時代は奴隷の時代でした。 労働は奴隷がするもので、ふつうの市民は飲み食いと遊びに精を出していました。
それが次の時代になったら突然、普通の人達が額に汗して働くようになり、蛮族が住んでいたゲルマンの森はいつの間にか「西欧」になりました。

何がこの変化をもたらしたのか。
渡部昇一さんは、聖ベネティクトにそれを求めることができると言います。

聖ベネティクトは、5世紀末から6世紀の中頃にかけてイタリアで活躍した修道僧で、ベネティクト修道院は北海道のトラピスト修道院の遠い祖先でもあります。 彼は「祈り、かつ働け “ora et labora”」と言いました(これはベネディクト会の標語になっています)。
渡部さんは、それまで奴隷の仕事とされてきた労働を祈りと同列に置いたことが、西欧を誕生させたというのです。

聖ベネティクトがこのような発想に至ったのは、当時の多くの修道僧や隠者を観察した結果、観想や瞑想ばかりやっている者は神秘主義のとりこになりやすく、亡びにつながることが多かったためだそうです。 今ふうに言えば、メンタルをやられてしまうわけですね。
現代でも、たとえば好きなことばかりやっていると、頭がおかしくなり、気分が憂うつになり、物覚えが悪くなり、からだの調子も悪くなることを経験した人は多いと思われます。 長い休暇は誰もが待ち遠しく、それまで出来なかった好きなことをあれもやりたい、これもやろうと楽しみにするものの、いざ休暇に入ってみると、好きなことをして過ごした一日の終わりになるとどこか虚しく、何とも言えぬ不幸感が襲って来て、こんなはずではなかったと思った経験はありませんか。

このような陥せいから逃れるには、聖ベネティクトの言ったように、「労働」あるいは「行」を行うことです。
それは彼の時代においては畑を耕したり家畜の世話をしたりするといった肉体労働だけでなく、旧い書物の写本をすることも含まれていました。 つまり、自分がやりたいわけではないことを意識的にやり続けることが大事なのです。
江戸時代の読書人は、毎日必ず漢詩を作る「行」をしていたそうです。
現代なら、家の掃除をしたり語学の勉強をしたりすることなどは一種の「行」と言えるかもしれません。 ピアノの練習でも、好きな曲ばかり弾いていると上達が遅いそうです。ハノンなどの運指の練習を最初に必ず入れることが大事であり、それを続けているといつの間にか音階やアルペジオがきれいに弾けるようになったりするでしょう。

こころの不調を避けるには、毎日「行」をすること。 これが積もり積もると、自分でもびっくりするような「運」がころがりこむかもしれません。

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